ブロケツ

ブログするか、ケツ出すか。アラサー女1人社長のぶっちゃけトーク。

半目だと寝やすい。仏の顔も、半眼半口(はんがんはんく)。

半目だと寝やすい。仏の顔も、半眼半口(はんがんはんく)。


今日の睡眠のお話は半分、寝タ。ネタだけに。

ハイ、寝落ちでなく出落ちから始まりました。いつものスベリ芸っす。抜群の安定感。よろしくどうぞ_(:3 」∠)_

 

あえて目をつぶらないという発想

まあもう既にタイトルでバレてるんですが、私はどうしても眠れないとき、目を…つむりません!!!

前回の記事でも書いたけど、目をつむると考えごとが頭の中をグルグルすることってありますよね。

そんなときこそ、効果的です。これは私オリジナルの方法なので他の人にも当てはまるかわからないけど、まあとりあえず紹介させてくださいw

 

具体的には、半目か薄目の状態にして、遠くの壁をぼわ~んと見るんです。ぼわ~ん、が重要。

ハッキリ見ようとすると、意識もハッキリしてしまうため、目が覚めやすいです。

できれば、口もキュッと閉じず少し隙間があくぐらい。きっと客観的に見れば、めちゃマヌケな顔をしていることでしょう。(o_o)

いや、でも、気にしません← 睡眠のほうが重要なんですから。

 

目を開けていると現実世界、目を閉じると心の内面の世界。そして半目は、その「中間の世界」。

これってなにかに似ていると思いませんか?そう、「瞑想」です。

 

 

 

仏様の目も半目

このテクニックを編み出してから(大げさ)だいぶ経ったあと、割と最近気がついたんですが。

なんと仏様も半目なんですよ!そんなこと、改めて睡眠と関連づけないからうっかり見落としてたけど、もしかして私大発見したんじゃ!?天才じゃ!?と、気づいた瞬間に思ってましたw

 

 

 

いろんな目をした仏像がありますが、半目または薄目の仏像を「半眼半口(はんがんはんく)」と言います。

その意味とは、「外の世界も意識はしているが、内面を見つめているから」。極楽浄土へ繋がっているお顔です。

 

私たち人間は、どうしても外の世界に意識が行きがちです。外の世界を見るために目があり、他人のことはよく見えます。

自分のことは棚にあげて、他人を評価したり、比較したり、批判したりすることは大得意です。

 

本当はそれと同じかそれ以上に、内面へのフォーカスが大切だと教えを説いてくださっているそうです。

つまり半眼の境地とは、外だけでも内だけでもなく、両者のバランスを取るということ。「心の内も、外のことも同時に見つめなさい」と。

これは瞑想や禅の真髄とも通じます。

 

 

 

数多の仏像の種類にも、大きくグループ分けができます。顔の表情や指のハンドサインなど、パーツごとにそれぞれ意味があり(印相:いんぞう)、もちろん”瞳の状態”にも当てはまります。

 

例えば、すでに悟りを開いた仏様である「如来」は”半目”。

参拝者と目が合う感覚が無いのは、心を静め、世界を救うための思索に集中しているためです。

 

それに対し、如来の化身でありながら、慈悲だけでなく怒りで人々を導く「明王」は”かっと見開いた目”。

参拝者の心の奥、煩悩を睨みつけています。

 

また、修行中でもある「菩薩」は”瞳が中心にある目”。

参拝者が見つめられているように感じるのは、人々の悩みを聞いた上で救ってくれる仏だからでしょう。

 

仏様の目にも、それぞれちゃんと意味がある。奥深いですよね。今度拝観するときは、意識して見てみるのはいかがですか?^^

 

 

 

半覚醒状態の、中間世界

前回の記事で、人が眠れないと悩むときは、眠っているか眠っていないかの間の半覚醒状態が多いと書きました。

「リラックスしているしもう少しで眠れそうなんだけど、なかなかそこから眠れない~。どうしよう早く寝なくちゃ~」という状態です。

そこから眠りに入れる人と、入れずに目が覚めてしまう人、その分かれ道のときこそ、睡眠に対してのマインドが影響すると私は思うのです。

 

それは、「眠りを追うと眠りに逃げられる。余裕を持つことが大事」と書いたように、「べつに眠ってなくてもいいや」と思えること。

ベッドに入りバタンと眠れることだけが理想の睡眠なのでなく、目を閉じてリラックスした状態やウトウト起きている状態でも価値があると思うこと。

この状態を「何もしていない状態だから無価値。もったいない時間。」と捉えるのでなく、1つの有意義な時間だと捉えてみるのはいかが??

 

外と内を繋ぐ瞑想の状態、とも言い換えられると思うからです。

現代人にマインドフルネスや瞑想の重要さが叫ばれる昨今、特に意識しなくとも自分の心が本能的に、瞑想状態を創り出してくれてるんじゃないでしょうか?^^

時代とともに、人間も現代社会へ生き抜くために、いつのまにか進化してくれてる。そう考えたらなんだかあったかい♡

 

 

 

本日のケツ論。

睡眠中は、仕事も進まないし、料理も作れないし、掃除もできないし、勉強して知識を増やすこともできない。

一見生産性のないように見え、価値がないことと後回しにしたり、おざなりにして扱いがちです。

 

でも、すべてに意味はある。むしろ”見えないもの”にこそ、大切な意味がある。私はそれを勝手に「不足の美」との名前で呼んでいるのですがw

私は、音楽や色彩やダンスなど、芸術面からこの考え方を意識するようになりました。

小さな頃からピアノをやっていましたし、私の人生でたくさんの気づきをくれた芸術は、切っても切り離せない大事な要素です。

 

形として物質的に見えなくても、エネルギーは宿っていると思うのです。

だから起きている時間だけが重要なのでなく、起きていない時間も、またその中間の繋ぎ目の時間も、意味がある。

 

次回は、そのことにもっと焦点を当てた記事を書きまーす。^^

では股\(^o^)/