ブロケツ

ブログするか、ケツ出すか。アラサー女1人社長のぶっちゃけトーク。

遊びとは、遊び心とは。遊ばなくなったヤツは老いてボケるから注意しろ

遊びとは、遊び心とは。遊ばなくなったヤツは老いてボケるから注意しろ

 

昨日、一昨日とポケモンについての記事を2本upしました。

「ゲームなんて、ポケモンなんて、所詮は子供騙しの遊びでしょ」って、まだバカにする?

今やゲーム実況者のYouTubeチャンネルなど、その「遊び」で大金を稼ぐ人が多数いる世の中。

 

そもそも遊びってなに?

「遊び」は「真面目」の対立概念として軽蔑されることも多い。

つまり「不真面目」というイメージ。まるで遊びを行う人は、プラプラとして怠惰な性格、時間を浪費している悪の存在のよう。

 

逆に「真面目」だけが支配した世界を想像してみる。遊び人がいない場所。

…なんだか無味乾燥、砂漠みたいじゃない?心の余裕が無く「生真面目」で、すっごく息苦しい。

きっちり整列した人間だけがズラーッ並んでいる様子が浮かんで見えて、私にとったら不気味に感じる。

 

 

 

「そんなのは子供騙しな遊び」とかって言うけど、大人になったら単純なもので遊んじゃいけないの?

物事を複雑にして合理性を求め、非合理や非生産なことは排除する。そんなオトナが正しいの?

そんなのばかりじゃただの「労働」じゃん。やりがいを持ちながら、わくわくして取り組む「仕事」じゃないじゃん。自分のエネルギー、要するに「命の切り売り」をしてるだけ。

無駄を省くだけなら、ロボットでいい。無駄を楽しむこと、つまり非合理な側面こそ、「感情」を持つ人間らしい行為なんじゃないの。

そんな生活を続けていたら、きっとその人間らしさは枯れていく。体は疲弊する。心は病んでいく。あなたの魂はSOSの合図を出す。

 

 

 

忙しいビジネスマンにとって、ゲームで遊ぶことは、生産性のない「無駄なコト」なのかもしれない。

だってアプリ内でアイテムを課金すれば貯金も減るし、形としてはなにも現実世界に残らない。

モンスターとのバトルに勝ったって、取引先との交渉相手を言い負かすことには繋がらない。

ファンタジーな世界の主人公として空は飛べたって、リアルで飛べるようになるわけじゃない。

 

そんな人には、ベートーヴェン第九の作詞者シラーの、好きな言葉を紹介したい。

「人間は文字通り人間であるときだけ遊んでいるのであって、彼が遊んでいるときだけ彼は真の人間なのだ。」

 

 

 

遊び心は子供に学ぶ

「遊び」は、とってもクリエイティブ。魂を癒やす尊い行為だと私は思う。

でもそこで問題となるのは「遊び方」。どこにいても、なにをしても、「遊び上手な人」と「遊び下手な人」っているなあと感じる。

ゲームの話に戻ると、ソシャゲだって、自分なりの楽しみ方を見つけられない人は、すぐ飽きて次のアプリにいく。

ダウンロードしてすぐ飽きては次、飽きては次って、同じことの繰り返しでなんの創造性もなし。加速するインフレに根こそぎ巻き上げられ、ただ奪われてるだけ。

廃課金できる財力を持つトップランカーを妬んだりイヤミを言う人がいるけど、微課金だって無課金だって、遊び方さえ工夫すれば十分楽しめるはず。

アイテム数や時間などなにかに制限を設けて縛りプレイを楽しんでみたり、ストーリー攻略でなくチャットを楽しんでリフレッシュしたり、個人戦でなくギルド内のレイド戦を試行錯誤し工夫してみたり。

 

遊び上手な人としてもっとも顕著なのが、小さな子供。

いろんなルールを生み出して、なんでも新しい遊びに昇華しちゃう。ガラクタだってオモチャにしちゃう。

いつだってフロンティアスピリットを持つ、わんぱくな冒険者。不可能と思われる未知の世界にも、どんどん飛び込んでゆく。何度も失敗していっぱい泣いて、次の瞬間にはもう、けらけらと笑っている。

子供の世界はパラダイス(楽園)。オトナの権力も支配も及ばない場所で生きている。

 

 

 

あなたは労働を強いられて「不自由」な生活を送っていませんか?

物事のプロセスよりも「確定」した結果ばかりをを求められていませんか?

効率を重視して「生産性」にばかり目を向けていませんか?

 

私はこう思う。

遊びは、参加を強制されない「自由」な行為である。

何が起こるだろうか、という「不確定」な新しさを求める欲求である。

それによって社会的・経済的リスクを負わない「非生産性」の精神を持つ。

 

自発的に、能動的に、生き生きした衝動のまま行動できる時間はありますか?もしできていないのなら、今の生活の環境を変えてみるのも手かも。

車のハンドルにも「あそび」と呼ばれる余裕を持たせる部分があるように、私たちの心にだって「あそび」という余白を持つことはすごく大切。

 

 

 

本日のケツ論。

どんなときにも、鈍い人には聞こえない「時代の声」がある。それは、人々がなんらかの刺激を心待ちにする「潜在期」。

感性の鋭い人は0から1を生みイノベーションを起こす。発見者となりそれが「発生期」、他の人々は追随者としてその場に誘い出される。

発見者の彼はいつのまにかオピニオンリーダーと成長し、世の文化は花開いていく、市場が拡大していく。

ムーヴメントは「こうしたらどうなるだろう?」というわくわくを行動した「遊ぶ行為」から始まる。

 

時間効率とか、コスパや、結果だけしか見なくなったら、キケン信号。

一気に老けて、将来アルツハイマーまっしぐらかもw

 

 

「いっしょに、あーそーぼー!」

では股\(^o^)/

 

 

 

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