ブロケツ

ブログするか、ケツ出すか。アラサー女1人社長のぶっちゃけトーク。

パチンコ店公表における、日本のいじめの構造

パチンコ店公表における、日本のいじめの構造

結論から言うと、私はパチンコ店の公表は反対派です。

パチンコ店の公表について思うこと

私個人的には、パチンコはキライです。すいましぇんw

タバコ臭くて騒音だらけの店内は生理的に嫌だし、反社会的勢力との関わりなど闇が深い業界だなあ〜とも思ってます。

べつに日本中から消えてもなんも困らないし、むしろ無くなってほしいぐらい。

それでも今回の、営業自粛要請におけるパチンコ店の公表は反対です。

 

「うわっ。まさに日本のいじめ体質だなあ。」って感じましたw

まっ、いろんな考え方がありますよね。大阪府知事は国会議員のジジイたちより明らかに頑張っている方だし、応援はしたいけど。

全員の考えを取り入れまとめることは無理なんだから、今はリーダーシップがなにより大事だとは思う。

 

 

 

和の精神が根付く日本

日本人は昔から「和」を尊ぶ民族。

みんなが協力し、助け合いの精神があると言われている。

 

日本では、個性や自由より秩序や安寧を重視する声もある。

そういった人々は「日本人は和の心や精神を持っている民族であり、秩序や安寧を乱すような個性や自由は許されない」と主張し、集団の和を大切にすることがある。

逆に集団主義を嫌う人々が、それを”遅れた日本民族の本質”とし、”進んだ欧米の個人主義”と対比させるという形で、この種の言説を唱えることもある。

(wiki「和の思想」より) 

 

 

 

排他主義といじめ

和の精神は平和的でとても素晴らしいことだと思うけど、ときに弊害もあることを忘れてはいけないと思う。

今日はそれをフューチャーするけど、つまり和を乱す人物を「悪」として排除する動きのこと。

 

ある1つの「和」のグループに属するためには条件がある。それは「同じであること」。

和の内側が我慢するときは、自分も我慢していないと叩かれる。

みんながやっているから、自分もやらないといけないという同調圧力。

 

みなと”同質”でない、つまり”異質”なものは、異物として弾かれてしまう。

自分だけが特別でいようとすると、徹底的に叩かれ、迫害され、晒し者にされ、村八部に合う。

外に追い出され悪の存在と見なされ攻撃される、その恐怖たるや。。。

 

 

 

人はなにかしら和から逸脱している

本来は、誰もが「和」から追い出される要因を持っていると思う。

だって当然のことだけど、誰もが同じ人間では無いから。

 

年齢、性別、国籍、宗教、職業、家族構成、性格、趣味嗜好…あることにおいては同じでも、あることにおいては違うことだって多々ある。

白か黒かではなくグラデーションの部分も多く、一様に人工的に区分けできないこともある。各々が、多様な個性や特性を持っている。

 

社会的ルールを統制している多数者の価値観を「正しい」とすると、少数派の人の価値観は「間違い」なの??

それっておかしいよ。少数派の人も、「正しい」はずだよ。

絶対的な正義によって世の中を動かせば、中国みたいな独裁国家と同じになっちゃう。

 

和の集団が、和の外部を規制しまとめ上げようとすると、ときに強引で暴力的な姿を見せる。

悪気がなかったとしても、結果、差別や偏見に繋がる。いじめと一緒。

 

そんなことをする人は、いつか自分がターゲットになったときに困るよ。

人はなにかしら和から逸脱しているから、いつか自分に矛先が向くことなんて大アリだよ。アリよりのアリアリ(o_o)

 

 

 

行き過ぎた正義は事実を隠蔽する

パチンコ店の話に戻ると。

 

パチンコ業界のイメージ悪を利用して、ただターゲットにしてない?

密だから危険って言うけど、他にも3密の業種や場面はあるくない?

徹底的に換気して、座席の間隔を開けて、やりようのある可能性だって少なからずあるんじゃない?

ただ「パチンコ店だから」ってだけの理由で、全ての事情を抜きにして晒し者にするほどかなあ?

 

 

 

「みんなが自粛しているんだし、自粛すべき。娯楽は今最優先じゃない。」という意見はもちろん正しい。

でも、「自粛すれば職が無くなる。自分の家が無くなる。家族を守れない。従業員の生活を守れない。」という事実だって現にある。

だってパチンコ業の人にも家族はあるし、生活がかかってる。

 

不安や鬱憤など世の中の感情を満たすためには、そういった事実は無視してしまったほうが、丸く収まるのかもしれない。

でも日本は現在、感情がルールではない、法律がルールの国。

自粛要請、つまり”お願い”しかできないんだから、お願いを聞いてもらえないからって非難はできないはず。

お願いとは元々「No」と言える権利があるもの。「Yes or No」を選べる権利があるもの。

 

「たとえ自分に感染リスクがあっても、外に出たいし働きたい」という考えだって選べるはず。

「不特定多数の命を守るより、身の回りの自分の大切な家族を守りたい」っていう考えだって選べるはず。

というか、補償が無いからそれを選んで営業しているサービス業や飲食店だって現にある。

 

 

 

和は、和の内側に協力し・助け・守り・犠牲になる。でも和は、和の外側とは戦う性質がある。

あまりにそのバランスが偏るのはキケン。

 

行き過ぎると、正義が暴走して事実を追い越すことが起きる。

そういった事実までをも隠蔽してしまっていない?

 

 

 

「和」の本当の意味

聖徳太子の十七条憲法。誰でも知ってる第一条の冒頭「和を以て貴しと為す」という言葉。

これは、”ただ同じであること”を良しとしているものではない。

 

第一七条には、「衆とともによろしく論うべし」ともある。

まずは”みんな価値観や考え方は違う”という考えが前提の元、話し合いをしましょうということ。

 

「秩序や安寧を乱すような個性や自由は許されない」ではきっとない。

「個性や自由を尊重した上で秩序や安寧を目指す」が真意なのでしょう。

 

 

 

本日のケツ論。

なんか最近ほんとマジメな話ばっか書いてしまってるw

そんなキャラでもないのに。ちーん。なんで〜〜〜

 

今日はおわりおわり!書くのつかれたああああ!ぴえん。

では股\(^o^)

 

 

 

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