許すことが大事
自分が正しいと思ってきた価値観なんて、意外と根拠がなかったり、社会の教育の場のせいで勝手に植え付けられた既成概念のせいだと知った。
例えば、女は25までが華だとか、20代のうちに結婚しなければいけないとか、子供を産まなければ幸せにはなれないだとか。
許すことは、自分に負けること。
「こうあらねばならない」「こうするべきだ」「これが正解だ」
という、こだわりへの執着心から解放されること。
1つ許すたびに、1つ思考が自由になっていってる気がする。
年齢を重ねることに、柔軟になっていってる。
「なんでもアリ精神」に拍車がかかっているのだw
年を取るのは嫌だと同級生は言うけど、私は今が一番楽しい。
年を取るというより、年を重ねるという表現が、まさにしっくりくる。
世界の見え方がどんどん変わってきている。今まで見えなかったものが見えるようになってきたのが、すごくすごく楽しい。
今までの自分の常識なんて、しょせん自分が子供の頃に見える範囲で作られた、小さなモノ。
固定観念は捨てて、もっともっと、自分の声に素直になっていきたい。
日本で息苦しいと感じるのなら、試しに一度海外に出てみるのはどう?
もしかしたら、日本の規格外として生きてくほうが向いてるかもしれないよw
日本の常識を、自分の常識にしなくてもいいんだと思えると、すっごく楽になる。
今はすんごーーーく旅のハードルが下がってるよ。
スマホさえあればwifiから情報も気軽に入手できるし日本とも繋がれるし、LCCも世界中でたくさん飛んでるし、いざとなれば50ヶ国以上の言語を翻訳してくれるポケトークもあるしw
もっと気軽にゴーゴー!
よく旅人が「自分探しの旅」とか言うけど、私はそんな大それたテーマなんか全く持たずに旅をした。
それでもやっぱり、自分が見える世界が広がった。
ニューヨークでは、人の目を気にせず、楽しそうに踊りながら歩いてる人がいた。
「俺は今踊りたい気分だから踊るんだ♪」っていう自由な精神を感じて、なんだかとてもかっこよかった。
日本では、見知らぬ人たちの視線を意識して、目立たないようみんな歩いているのに。
メキシコのグアナファトという都市では、街中の建物がカラフルだった。
壁ってこんな可愛い色使っていいんだ!と感動した。
日本の壁は白・黒・グレーと無機質な色が普通で、そればかりを見て育ってきたから。
タンザニアでは、満席の乗合バスの中、新しく乗ってきた乗客が先客の膝の上に腰かけていた。「ここに座りな^^」って。
え!?そこに座っちゃうのとびっくりした。知らない人同士が初対面で寄りかかるのが衝撃で。
日本じゃなるべくパーソナルスペースを確保して、人を避けるようにするのが普通だから。
ブラジルでは、30時間もバスに乗った。20数時間程度の予定だったバスが、なんやかんやのトラブルで10時間も遅れた。
それでも地元の乗客たちは、「あ、またか~やれやれ」みたいいな顔して当たり前に乗っていた。感覚の違いに驚いた。
日本では数分遅れただけでアナウンスしたり遅延証明書が発行されるのに。キレ出すオヤジ達もいるというのに。
自分の中の当たり前は、1歩外に出れば全然当たり前じゃないことを知れる。
べつに海外や旅でなくてもいいけど、とにかく外の世界を感じること。
そしたら、自分の中のこだわりなんて、ちっぽけなものだという感覚が持てる。
Aしか許せなかったものも、BもCも、なんならDまでオッケーというふうに、どんどん許せるようになっていく。
いろんなことを許せると、すっごく楽。
だってすべては自分の心が、良いか悪いかを判断しているのだから。
何が私を縛りつけてるの?常識や当たり前は誰が作っているの?って、結局それは自分の心次第。
凝り固まってちゃいけない。私はもっと自由になりたい。もっと柔軟な人になりたい。まだまだ世界は広い。まだまだ自分はちっちゃい。
いろんなことが許せるようになると、その中で、光って見えるものが出てくる。自分オリジナルのフィルター補正がかかる。
それこそが、自分の「好き」「やりたい」「こうしたい」という、主観。
今は、何を選択しても許されるいい時代なんだから、主観を大事にしないともったいない。
世の既成概念にいつのまにか縛られ、自ら固定観念に首輪をつけてちゃ視野が狭くなる。
先入観なんてくそくらえ。自分で自分の固定観念、ぶち破ってこ。
社会に飼い殺されるな。自分で自分を飼い馴らせ。
できると思えば、できる!思考のプラシーボ効果、重要!自分の薬は自分で投与する!
すべてを許した上で、最後に輝くのが自分の主観。れっつじぶん。
では股\(^o^)/
よければセットでどうぞ